杉ウイメンズクリニック

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不育症、習慣流産、反復流産 杉ウイメンズクリニック | 院長コラム

年頭所感

2014/01/03

明けましておめでとう御座います。年末年始、いろいろな行事を見るにつけ、感じるところがありましたので、ここにつらつらと記します。
  産婦人科医として今までたくさんの生死をみて来ました。当直をすると、一晩で癌の末期患者を看取り、そのまま分娩に立ち会う事は、珍しいことではありません。死も生も、何故か丑三つ時の夜中の2時前後に集中します。生と死の両方に深く関わるのは、産婦人科医だけでしょう。現代の日本では、殆どの人が病院で産まれ、病院で死にます。一般人は、日常に生と死を感じる事無く過ごしていますが、我々、医療従事者は、毎日の様にそれに接しています。今は、毎日の様に流産に接し、同時に分娩報告を聞きます。旧約聖書、ヨブ記の、「私は私の起源に先んじて何であったかを知らず、死後に何であるかを知らない」という一節が頭をよぎります。「どういうルールで行なわれているか分からないゲームに、気がついたらもうプレイヤーとして参加していた」というのが人間の立ち位置であると、内田樹先生は説いています。不育症の研究をしていると、妊娠維持機構があまりにも緻密に出来ている事に驚きを覚えます。そこに大いなる存在を感じざるを得ないのです。それを少しでも知りたいと思い、クリニックに研究所を併設して研究を続けています。私が知りたいのは真実であり、それが少しでも不育症で悩む皆さんの役に立てば、幸せです。でも、私ができる事は、僅かしか無い事も事実です。今の時点で最良と思った診療をし、後は胎児心拍が見えるか見えないか、皆さんと一緒に見守るしかないのです。私の好きな言葉に、「人事を尽くして天命を待つ」がありますが、これは皆さんへのメッセージであり、自分に対するメッセージでもあります。私は、多くの日本人と同様、特定の宗教の信者ではありませんが、多くの日本人同様、宗教的な人間であると思っています。日本人は、自分は宗教的な人間ではないと思っている人が多いかも知れませんが、それは間違いです。年末年始はクリスマスを祝い、初詣をし、その後もお盆、祭り、法事など、仏教、神道、キリスト教、何でもこなします。「何ごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行法師の歌がしっくりきます。西洋の思想では一神教でなければ原始宗教であると格下に見る傾向がある様に感じますが、私は、大いなる存在を感じ、ただ畏れるのが良いと思います。誰に感謝して良いのか、分からないからです。誰に対してどのように感謝するべきか分かっていると言う宗教人に対する違和感が私にはあります。でも、私の場合、強いて言えばヘパリン真理教の教祖かもしれません。ヘパリンは、私の大切な研究対象ですが、その知れば知るほど神がかり的な生理作用は、信仰の対象になるかも知れません。ヘパリンを神棚に祭っても良いかも。アスピリンを添えれば最強?


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