杉ウイメンズクリニック

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不育症、習慣流産、反復流産 杉ウイメンズクリニック | 院長コラム

夫リンパ球免疫療法について思う事。

2015/10/12

最近、外来をやっていて、混合リンパ球培養 (MLCまたはMLR)や、夫リンパ球免疫療法など、非常に懐かしい名前を時々聞く様になりました。過去の遺物と思っていたので、少々意外です。私は、今では夫リンパ球免疫療法否定派と思われていますが(不育症学級改訂版参照)、実は、おそらく日本で一番夫リンパ球免疫療法に関わった不育症専門医であると思います。1980年代後半から、1990年代初頭にかけ、私は慶應義塾大学病院の不育症外来で、夫リンパ球免疫療法をやりまくっていました。症例数は、日本では断トツに多かったです。5回も6回も流産を繰り返した人が、免疫療法をすると、流産が止まった経験も、何度もあります。私が生まれてはじめて書いた英語の論文も、免疫療法の作用機序についてです。表紙のページを貼ります。
論文には、免疫療法により、MLRが改善し、抑制性T細胞が増えたとあります。実は、今では、抑制性T細胞の存在は否定されています。今は、制御性T細胞が免疫を抑える事が分かっています。そういう意味では、この論文は、根幹から間違っているのですが、当時はこれが常識であり、免疫療法によって免疫系に何らかの抑制がかかったという事は、確かだったと思います。そんな、夫リンパ球免疫療法に対して臨床的、研究的成功体験を持つ私が、何故、今は否定派なのかと言うと、その後に世界中で行われた二重盲検法による研究の成果によります。二重盲検法とは、一番信頼性の高い研究法で、本物の夫リンパ球の注射と、偽物の生理的食塩水の注射を無作為に割り当て、患者も医者も、どちらか分からないようにします。この方法だと、先入観が完全に排除され、いわゆる、プラシーボ効果が無くなります。この研究法が世界中で行われた結果、夫リンパ球免疫療法の効果は否定されてしまいました。実は私も、意外と言うよりは、「やっぱりね」という印象でした。この世界中で行われた緻密な研究結果から得られた結論を否定する事は、非常に困難と思います。さらに、日本でも、産科婦人科学会の共同研究で、原因不明不育症患者に、夫リンパ球を行なった場合の生児獲得率は80.9%であり、一見良好の様ですが、無治療群の88.6%を下回っています。結局、原因不明ではなく、本当に異常のない不育症患者に夫リンパ球を行なっていた事になります。夫リンパ球免疫療法は、輸血なので、感染症などのリスクもあり、抗リン脂質抗体などの自己抗体を誘導するなどの副作用も報告されています。決して安全な治療でもないので、安易に行う事は止めるべきです。
何故、私の書いた英語の論文で、夫リンパ球免疫療法の後に、免疫の抑制が見られたかに関しては、まさにプラシーボ効果で説明が出来ます。例えば、体外受精着床障害患者に対し、移植の日からアスピリンとヘパリン注射か、偽薬として砂糖玉と生理的食塩水の注射を開始するという二重盲検法の研究があるのですが、両者に着床率の差は無く、着床障害の治療としてのアスピリン、ヘパリンは否定されました。しかし、この論文の一番興味深いデータは、何もしなかった着床障害患者よりも、偽薬の生理的食塩水でも注射した患者の方が、はるかに着床率が高かった事です。もし、着床障害患者に夫リンパ球免疫療法を行えば、同様に良好な結果が得られるでしょう。でも、おそらく夫リンパ球と同程度に生理的食塩水の注射にも効果が見られるはずです。プラシーボ効果の威力は、無視できません。
私の大学の同級生に、数年前にイグノーベル賞を受賞した新見先生がいます。彼は、心臓移植したマウスに、オペラの椿姫を聞かせると、制御性T細胞が活性化し、延命効果が得られるという論文で賞をもらいました。ストレスの軽減が、いかに免疫に影響を与えるか、興味深いです。まさに、病は気からです。
私が若かりし頃、研究をしたアメリカの研究所は、夫リンパ球免疫療法の開発に非常に深く関わった研究所です。私は当時、日本で夫リンパ球免疫療法の研究の最先端を行っていたので、1992年に免疫療法の研究をしに、その研究所に行きました。にもかかわらず、その時既に夫リンパ球の波は去り、私は抗リン脂質抗体の研究をやる事になり、今があります。
見当はずれの治療でも、プラシーボ効果でも、妊娠が成功すれば良いじゃないかという意見もあるかもしれませんが、専門医が夫リンパ球の治療と研究に時間を割いている間に、まっとうな臨床、研究は滞ります。患者が、夫リンパ球の検査と治療に時間とお金を費やしている間に、まっとうな検査や治療が滞ります。私は、早めに見切りを付けたので、その後の抗PE抗体、抗第XII因子抗体の発見や、ヘパリン在宅自己注射療法の導入などの仕事が出来たと思っています。
私は、日本で一番深く、夫リンパ球免疫療法の普及に関わった不育症専門医の一人として、恥を忍んで夫リンパ球免疫療法を否定するのも、自分の役割であると思い、今の立場を取っています。それでも、夫リンパ球免疫療法は有効であると主張する専門医がいるのであれば、その根拠となる研究成果を明示して欲しいと思います。特に、不育症とは異なる着床障害の治療としても有効であるなど、どんな根拠があるのか、納得の行く説明を聞きたいものです。
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