低用量アスピリン療法は着床を邪魔するか【過去コラムより】
ホームページリニューアルに伴い、過去に掲載した低用量アスピリン療法と着床に関連するコラムをまとめました。
【目次】
- アスピリンを着床前から飲むと、着床の邪魔をするどころか、生児獲得率が上昇する可能性がある。その具体的な証拠。(2023/2/23)
- 低用量アスピリン療法を否定する理由とは? (2016/3/13)
- 低用量アスピリン療法の副作用で、着床を邪魔して不妊になるか。(2015/2/14)
- 「着床は炎症みたいなものだから、アスピリンを投与すると着床しなくなる」と言う意見について。(2021/12/26)
- 「アスピリンを着床前から飲むと、着床しなくなるのか」と言う質問に対する答え。(2021/7/15)
アスピリンを着床前から飲むと、着床の邪魔をするどころか、生児獲得率が上昇する可能性がある。その具体的な証拠。(2023/2/23)
着床前から低用量アスピリンを内服することについて、Lancetという超一流誌の論文をまとめましたので、紹介します。
1000人以上の女性に、約半年間、毎日アスピリンか偽薬を飲んで貰い、生児獲得率を報告しています。
もしもアスピリンが着床を邪魔するのであれば、妊娠成功率が下がるわけですから、妊娠のその先にある生児獲得率が偽薬群と比較し低下するはずです。
結果を見ると、着床前からのアスピリンが生児獲得率を上昇させたかは兎も角として、少なくとも、着床の邪魔はしていない事は明らかです。

さらに、世界的に権威のあるコクランレビュー2020のデータを紹介します。
胚移植の周期の生理2日目からアスピリンを開始した時の生児獲得率のデータです。
右のグラフのOdds Ratioの菱形が、1より右にあります。これは、アスピリンが有効である事を示します。
少なくとも、着床の邪魔をしていないのは確かです。

以上、紹介したデータは、対象女性をランダムに半分にしてアスピリン、偽薬を投与した成績です。血液凝固系検査で異常のあった人達ではありません。
従って、アスピリンが不要の人も多く混ざっているため、アスピリンの有効性ははっきりしませんでしたが、少なくともアスピリンが着床の邪魔をしていない事は明らかです。
当院は、血液凝固系検査で異常のあった人を選んでアスピリンを投与しているので、もっとアスピリンの有効性がはっきりすると思われます。
全員にアスピリンを着床前から投与してもあまり意味はありません。
きちんと検査し、診断し、必要と思われる人を選んで投与する事が上手くいくコツです。
低用量アスピリン療法を否定する理由とは? (2016/3/13)
最近に限らず昔からなのですが、当院で低用量アスピリン療法の方針とした方で、かかりつけの産婦人科医からアスピリン療法を否定される方がたまにいます。
どちらも、アスピリンに対する誤った知識の為と思います。
アスピリンを反対される理由でよく聞くのは、アスピリンを飲むと着床しなくなるという誤解です。
この件は、次のセクション「3.低用量アスピリン療法の副作用で不妊になるか」に詳しく解説しましたので、併せてご覧ください。
また、低用量アスピリン療法の方針の方で、妊娠初期に出血、絨毛膜下血腫が見られることが良くあります。
これは、著書『不育症学級』に詳しく説明しています。
当院でアスピリンの方針にした方は、血液凝固系検査で何らかの異常があり、妊娠すると胎盤の血管に血栓ができて流産するため、血栓予防でアスピリンの方針にしています。
胎盤の血管に血栓ができて詰まると、血栓で血流がせき止められた部位の血管が破綻し、出血します。
従って、血栓傾向の方は、出血、絨毛膜下血腫が出来やすい訳です。
その様な人にアスピリンを飲んで貰っているので、アスピリン療法方針の方が妊娠すると血栓による血管破綻から出血し易いのは当然です。
しかし、アスピリンの副作用で出血したと思い、アスピリンを中止して止血剤を処方されることがあります。
これでは因果関係が逆のため、アスピリンを中止し、止血剤を処方することは逆効果であることが分かると思います。
アスピリンの副作用で出血する事はありませんし、少々出血したとしても、アスピリンの副作用で流産の原因になる様な大出血は起こらないと、多くの世界中の医学論文に書かれています。
分娩病院の産科医がアスピリン療法に反対する理由は、妊娠中の大出血に対する恐れと、胎児の心臓に悪影響があるかも知れないという恐れです。
アスピリンを飲んでいると、胎盤早期剥離を起こして大出血して危険であると言うのが良くある産科医の意見ですが、幸い、この可能性は否定されています。
過去の大規模な研究で、低用量アスピリンの副作用で胎盤早期剥離が起きたという報告はありません。
また、陣痛発来までアスピリンを飲んでいても、分娩時の出血は若干増加したが、輸血に至る様な大出血は無かったと報告されています。
さらに、胎児の心臓に対する悪影響も、世界的に否定されています。
アスピリンに関して、不育症専門医の意見と、不妊・周産期専門医の意見が異なると、困るのは皆さんです。
しかしながら、この件に関しては、どちらの言い分にも一理あるという訳ではありません。
我々不育症専門医は、世界中の研究論文をもとに、安全性、有用性に関してエビデンスのある治療方針を出しているので、それを個人的な意見で反対されても困ります。
反対するのであれば、根拠となる論文を提示して頂きたいと私は思います。
何よりも、アスピリンを飲まないと流産してしまうから飲んでいる訳なのに、流産予防の代替案の提示無しに、出血が怖いから中止しろと言われても困ります。
不育症に詳しい不妊、周産期専門医は、アスピリン療法を否定しません。最近は、不育症の認知度も上がり、この様な事も減りつつあります。
逆に、着床率を上げるために全員に移植の日からアスピリン、ヘパリンを使用する極端な不妊専門医もいますが、これも全く効果がない事が論文で報告されています。
エビデンスに基づいた医療を提供する事が大切であると思います。
低用量アスピリン療法の副作用で、着床を邪魔して不妊になるか。(2015/2/14)
アスピリンを飲むと着床を阻害して不妊になるのではないかという質問が複数ありましたので、解説します。
アスピリンなどの鎮痛解熱剤は、COXという酵素を阻害してトロンボキサンやプロスタグランディンの産生を抑制します。
トロンボキサンは、血小板を刺激して血栓を引き起こしたり、子宮内膜では着床を阻害します。したがって、トロンボキサンを抑えれば、血流は良くなるし、着床もし易くなります。
一方で、プロスタグランディンは、血管を拡張し、子宮内膜の血流を良くして着床を助けます。
プロスタグランディンを持たないマウスは、着床できず、不妊になる事が分かっています。
高用量のアスピリンは、トロンボキサンもプロスタグランディンも、両方とも抑制するので、プロスタグランディンが不足して着床障害を引き起こす可能性があります。
そこで、我々は低用量アスピリン療法を行っているのです。低用量アスピリンは、悪玉のトロンボキサンは抑えますが、善玉のプロスタグランディンは抑制しません。したがって、妊娠には有利に働くのです。
この様に、アスピリンを増やすと、効果が上がるどころか、逆効果になる事をアスピリンジレンマと呼びます。
そんな訳で、アスピリンを飲むと不妊になるという意見は、決して間違っている訳では無いのですが、高用量アスピリンと低用量アスピリンの作用機序を良く分かっていない事による誤解です。
同様に、アスピリンを妊娠28週以降に飲むのは禁忌という話も、高用量アスピリンの場合であり、低用量アスピリンでは副作用の報告はありません。
では、実際に低用量アスピリンを飲むと、妊娠には有利なのかということに関して、2014年4月2日に、Lancetという医学雑誌に非常に良い論文が載っています。
前年に1回流産既往のある対象者において、毎日低用量アスピリンを飲んだ群と、偽薬を飲んだ群の妊娠を比較検討したところ、低用量アスピリンを飲んだ群の方が、統計学的に有意に生児獲得率が増えたとあります。
この様な偽薬を用いた研究は、医師も患者も、自分の飲んでいる薬が低用量アスピリンなのか、偽薬なのか分からないので、プラシーボ効果が排除でき信頼性は高いです。
この論文より、少なくともアスピリンを飲むと不妊になるという事は否定できると思います。
結論として、低用量アスピリン療法のせいで、妊娠しなくなると言うことはありません。
不妊の原因は多岐に渡るので、アスピリンのせいにする前に他の原因を探すべきだと思います。
ただし、いかなる薬にも副作用は有る訳なので、当然、低用量アスピリン療法も、必要な人が根拠を持って飲むべきである事は言うまでもありません。
「着床は炎症みたいなものだから、アスピリンを投与すると着床しなくなる」と言う意見について。(2021/12/26)
「着床は炎症みたいなものだから、鎮痛解熱消炎剤のアスピリンを飲むと着床しなくなる」と言うフワッとした説明を医師から言われ、低用量アスピリンの服用を反対される患者がいます。
確かに、高用量のアスピリンならそれもあり得ますが、低用量アスピリンは異なります。
あまりにもフワッとした説明なので、ここに詳しく解説したいと思います。
着床の現場には、Coxと言う酵素があります。
これがプロスタサイクリンと言う、炎症を起こすプロスタグランジンの一種を産生し、子宮内膜の血管透過性を亢進させるなどの炎症反応を起こし、着床に重要な役割を果たします。
プロスタグランジンが無いと、着床は起きません。
Coxには、Cox1とCox2があり、Cox1はトロンボキサンと言う血流を悪くする悪玉物質を産生します。
さらに、Cox1とCox2は、着床に必要なプロスタサイクリンを産生します。
Cox1が無くても、Cox2がバックアップするので、プロスタサイクリンの産生に問題はありませんが、Cox2が無いとプロスタサイクリンは産生できません。
低用量アスピリンは、Cox1の阻害薬なので、悪玉のトロンボキサンの産生は阻害しますが、プロスタサイクリンの産生には影響無く、着床に有利に働きます。
世界のガイドラインでも、低用量アスピリンは、妊娠する前から飲むことが推奨されています。
もし、低用量アスピリンが着床、妊娠の邪魔をするのなら、世界の常識が覆される事になり、大事件です。
「アスピリンを着床前から飲むと、着床しなくなるのか」と言う質問に対する答え。(2021/7/15)
この件は、既に前のセクション「3.低用量アスピリン療法の副作用で不妊になるか」で詳しく解説しています。
先に③の解説をご覧ください。
時々、アスピリンを飲んでから着床すらしなくなったという個人体験がSNSに書き込まれることがあります。
これについてエビデンスレベルの高い論文を用いて説明します。
2014年のLancetと言う一流誌に載った論文によると、1228人の女性に対し、患者も医者もアスピリンか偽薬か分からないようにして半年間毎日飲ませ、妊娠状況を見たところ(二重盲検法と言います)、前年に1回流産既往がある群において、アスピリンを飲んだ人の方が、偽薬を飲んだ人より生児獲得率が高かったとあります。
アスピリン群と偽薬群で流産した割合に差がなかったことから、最終的な生児獲得率が高かったということは、その前段階である妊娠成功率も好成績だったということです。
要するに、アスピリンを着床前から飲んだ方が、妊娠成功率が良かったと言えます。
患者個人の数回の移植の経験や、医師個人の臨床経験による印象はエビデンスレベルが低いので、注意が必要です。
研究は、二重盲検法の信頼性が高いです。
本物と偽薬を、患者も医師も分からないようにして使うので、患者や医師の先入観、プラシーボ効果を排除でき、客観的なデータが得られます。
結論として、移植周期の生理終了時からのアスピリン開始は、妊娠率を高める事はあっても、着床の邪魔をする事は無いと言うのが、当院の意見です。
ちなみに、ヨーロッパ生殖医学会不育症ガイドラインでも、日本の不育症管理に関する提言2025でも、アスピリンは妊娠前からの投与が推奨されると書いてあります。
もしも、アスピリンの副作用で着床が邪魔されるのであれば、世界のエビデンスが覆されることになります。
着床しない場合は、他の原因を探した方が良いのかもしれません。
しかしながら、私は不要なアスピリンの投与はお勧めしません。
全員に、移植周期の初めからアスピリンを飲ませるクリニックもありますが、健康な人に薬を投与する場合、副作用のリスクは必ずあります。
複数回良好胚を戻しても着床しなかった既往があり、なおかつ凝固系検査で異常が見つかった人だけが飲むべきです。
薬は、必ず検査と診断のもとに適切に処方されるべきで、検査も診断も抜きで全員に自動的に処方するものではありません。
それは、医療とは言えません。