化学流産をどう考えるのかー特にチェックワンファスト使用者のために
最近、生理予定日前後に妊娠検査、特にチェックワンファストを使用し、陽性が出た後に生理になり、悩んでいる方を多く見かけます。
毎回の様に生理予定日に検査を行い、陽性が薄くでも出れば妊娠、流産ととらえ、不育症外来を受診される方、あるいは、既に不育症検査が終わり、提示された治療方針にしたがい、アスピリンなどを高温期から飲んでいたのに化学流産になり、方針の再検討について相談に来られたりする方がいらっしゃいます。
この件に関するメール相談も良くありますので、その度私がお勧めしているのは、私の書いた「不育症学級」を熟読下さいと言うことです。特に、3~5ページと、58ページをお読み下さい。
そこに書いてありますが、重要な事は、着床前の胚盤胞の染色体異常率は25%もあるのですが、妊娠判明時には10%に減っているという事です。要するに、多くの染色体異常をもった受精卵は、着床前後に自然淘汰されています。したがって、チェックワンファストという非常に高感度の妊娠検査薬を毎周期、生理予定日前後に使用すれば、一時的に陽性に出る事は非常に良くある事です。
アメリカの論文 (Fertility and Sterility, 65, 1996, 503-509)によると、不妊でも不育症でもない健康なカップルに排卵日に性交渉を持ってもらい、その後毎日早朝尿を提出してもらい、妊娠反応を検査したところ、何と全妊娠の31%が流産となり、その流産の中の41%は、尿検査で陽性が出ただけの化学流産だったそうです。本当の臨床的な流産は、9.5%でした。化学流産になった場合も、生理の遅れを伴わないものも多かったそうです。要するに、正常な若いカップルでも、毎回生理予定日にチェックワンファストを行えば、化学流産は普通に見られる事になります。また、もしもチェックワンファストで陽性に出た直後に生理になったものを妊娠とか化学流産にカウントするのであれば、若い正常なカップルでさえ流産率は31%もある事になります。
以上の事から、チェックワンファストで陽性が出たからと言って、その後、直ぐに生理になった場合は流産にカウントする事は、問題があります。そんな事をしたら、世の中、習慣流産患者であふれてしまいます。また、不育症治療中の方でも、提示された薬を高温期から飲んでいたのに、化学流産になってしまったので、治療方針を再検討するべきであると言うご意見にも賛同しかねます。
私は、着床障害の治療にも力を入れていますが、染色体異常の受精卵が自然淘汰されずに産まれる様にする事はできませんし、するべきでもありません。
皆さんがチェックワンファストという医学の最先端の診断薬を使用して覗いているのは、神の領域です。安易に覗き、人間の狭い視点でそれを評価しない方が良いかも知れません。
Q.不育症検査が全て異常なしの場合、原因不明不育症と考えるべきか、不育症ではないと考えるべきか。
A.なかなか難しい問題です。私の不育症診療の目標は、異常なしという診断ができることです。異常なしという診断が一番難しい診断であり、それができる不育症専門医を目指しています。流産を繰り返した人の次回妊娠成功率は皆さんが思っているよりは良好です。例えば、2回流産した人が、何の検査も治療もしないで3回目の妊娠をした時の妊娠成功率は80〜90%でかなり良好です。このデータより、2回流産した時点ではまだ不育症検査をする必要が無いという意見もあります。逆に言えば、2回流産した人に不育症検査をしても、明らかな原因が見いだされない事が多いはずという事になります。私は、2回流産歴のある人に不育症検査をやる意義は、異常の無いことを確認するためという意味合いが強いと考えています。
私も以前は、患者さんに対してなるべく何らかの異常を指摘し、何らかの治療方針を提示するようにしていました。しかしながら、今、冷静に考えるとその多くは誤診であると言わざるを得ません。でも、何らかの異常があると診断し、治療が必要であると言う方が、医師としては楽です。不育症検査をして、何も異常がなかったので、異常なしと診断して次回妊娠は無治療という方針を提示すると、納得がいかなくて異常ありと言ってくれる医師を求めて転院する人もいます。また、もし無治療の方針で次回妊娠結果が悪ければ、治療方針を責められます。誰でも必ず20%ぐらいは流産するので、100%の成功率はありえないにも関わらずです。だからといって、不育症検査で異常値がでたからといって、それが原因であると診断する事は安易です。
例えば、高プロラクチン血症(特に潜在性高プロラクチン血症)、症状のない軽度甲状腺機能異常(特にTSHのみ異常の場合)、黄体機能不全、NK活性などは、異常値がでてもそれが本当に過去の流産の原因であったかというと、非常に疑問です(これは私個人の見解ではなく、国際学会のコンセンサスです)。しかしながら、それらに対する治療を行い、次回の結果が良好であれば、治療の成果と感謝され、結果が悪くても、やる事はやってもらったので悔いは無いと感謝されるのです。したがって、医師としては、兎に角患者が来たらば、何らかの異常を提示し、治療を施せば、患者の評判は悪くならない訳であり、そうして医療のレベルは低下していきます。間違った原因を治療している間に、正しい原因を見逃す事になります。今まで、幾つものいかがわしい不育症検査、治療が横行しては、消えていきました(夫リンパ球免疫療法など)。その間、正当な不育症診療は停滞したのです。正しい診断無しには正しい医療はあり得ません。患者の希望により、ある程度過剰な治療をやる事はありますが、それは正しい診断をした上で過剰治療をする事であり、誤診の元に行った治療が偶然同じ治療であったとしても、同質の医療では無いのです。
最近出た統計によると、当院で行っている不育症検査を施行し、異常の見出されなかった不育症患者に対し、異常なし(不育症で無い)と診断して無治療で次回妊娠にのぞんだ場合の妊娠成功率(無事分娩した率)は88.6%で極めて良好でした。この結果は、我々が行っている不育症検査は不育症の原因の殆どを網羅しており、検査に異常が無かった人に対して異常なしという診断を下しても多くは間違っていないと言う事を教えてくれました。もちろん、だからと言ってやせ我慢して無治療で次回妊娠に臨まなければいけないと言う事もありません。何かした方が安心というのも人情です。副作用の無い薬ならば念のため飲むのも良いでしょう。漢方などの東洋医学も良いでしょう。外来で相談の上、より良い方針を決めましょう。異常無しというベストの診断のもとに、さらに念のための対策を行えば、鬼に金棒です。異常無しという診断をポジティブにとらえ、次回妊娠を安らかに過ごしていただければと思います。
Q.信頼性の高い情報はどのようにしたら見分けられるのか。
A.インターネットに情報があふれ、誰でも簡単に沢山の情報が手に入る時代になりました。しかしながら、情報の量は多くても質は決して高くはありません。180度間違った情報も多く出まわっています。最近アメリカで発表された論文によると、素人が病気に関して一番正しく有益な情報を手に入れる方法は、医学図書館に行ってそこの司書に相談する事だそうです。実は、私たち専門家は、最先端の正しい情報を医学論文から得ています。洗練された医学論文は、最も信頼性が高いからです。医学論文を一流国際医学雑誌に載せるのは至難のわざです。論文を医学雑誌に投稿すると、世界のトップレベルの科学者が数人レフリーとして選ばれ、論文を審査し、全員の同意があって初めて載る事ができます。そしてさらに、論文が載ったあと、他の研究者の追試でその論文の正当性が確認されて初めて正しい情報と言う事になります。そのような医学論文を私も書いて来ましたし、一流国際雑誌の不育症や血液凝固分野のレフリーとして世界中の研究者の書いた論文を審査もしています。新しい論文は毎月膨大な数発表されます。それに目を通し、目新しい知見があればそれを追試し、正しさが確認された情報のみを皆さんの臨床に生かしています。そこには、感情の入る隙間はありませんし、入るべきではありません。
一方で、レフリー制のない情報は、質が悪い事が多いです。その情報の真偽が客観的に判定されることなく、公共に垂れ流されるからです。中でも特に、匿名で書かれた情報は、最も質が悪い可能性があります。別にそのような情報を書いている人の人格を問題視しているのではありません。科学者として訓練を受けた我々専門家でも、100%正しい情報を書くのは困難なのに、素人にそれを期待するのは無理です。例えば、私は良く新聞、雑誌の取材を受けますが、何時間も話をして、納得した記者の書いた原稿が最初から完璧であった事はありませんでした。その後、一緒に何度も書き直し、改良を重ね、記事になります。新聞記者は、訓練を受けたプロですし、誤った記事を載せたら信頼を失い、命取りです。その様な人達でも困難な事が、インターネットに匿名で情報を発信する人にできるでしょうか。おそらくその様な自覚も無く書いている事が多いのでは無いでしょうか。
皆さんが、自分の病気に関して正しい情報を得たいと思ったら、是非、専門医に聞いて下さい。自分の力で英語の論文を読みあさり、どの論文が正しいのか判定する事は素人には不可能です。しかしながら、信頼出来る専門医を見極める事は可能です。もし、専門医の間でも異なる意見がある場合は、それぞれの専門医にその意見の根拠を聞くと良いです。つっこんだ質問に対して嫌がったり、怒りだす医師は、信用できません。きちんと答えてくれる医師の場合は、その意見の根拠として、出所の明らかな一流論文や客観的データが提示された場合は信用ができます。一方で、その医師の意見が、今までの個人の臨床経験のみから導かれたという場合は、エビデンスレベルは低いです。その医師は最先端の英語の論文を読む努力を怠っている上に、その人のわずかな臨床経験から得られる情報は、何万人もの世界中の患者のデータで構築されている国際医学論文に比較してあまりにも貧弱です。私はおそらく日本で一番多くの不育症患者を診て来たと思いますが、それでもたったの4000人弱の不育症患者しか経験していません。この程度の数では、多くの事を語る事はできないのです。
今、私が書いているこの記事も、誰の審査も受けず、勝手に書いています。したがって、記事の信頼性に欠けるので、当クリニックのウェブサイトは、あまり不育症に関して詳しく触れていません。その代わり、「EBMに基づく不育症診療の実際」と、「不育症学級」という本を出版しました。「EBMに基づく不育症診療の実際」は専門医向けに書いた医学書です。全ての内容には、根拠となる参考文献を列挙してあります。その内容を素人向けに噛み砕いて書いた物が「不育症学級」です。こちらには、参考文献は省略してありますが、疑問点があったら、「EBMに基づく不育症診療の実際」を調べて戴ければ、その根拠が明らかになるはずです。
他の疾患と異なり、不育症は未だ発展途上の分野です。専門医の中でも意見が異なる事があるのはそのためです。したがって、皆さんがどの意見を信用するべきか、大変難しいと思います。ここでは、そのコツを書いたつもりです。参考になれば幸いです。
低用量アスピリン療法について、皆さんの疑問にお答えします。
最近、低用量アスピリン療法についての質問が多いので、ここでまとめたいと思います。
当院での一般的な飲み方は、基礎体温の高温期中間から開始 し、妊娠したら続行して妊娠35週で終了としています。高温期中間から開始している理由は、以前は妊娠分かり次第開始する様にしていたのですが、この指導 法だと、妊娠に気付くのが遅くて、アスピリンを飲み始めた時は既に手遅れという人が続出したからです。欧米では、分娩当日まで飲み続けるのですが、分娩時 の出血が増える可能性を考慮し(あまり心配は無いのですが、産科医の反対もあるので)、妊娠35週で終了としています。
低用量アスピリン療法の用量は、国際的に60mg~100mg/日と決まっています。この量が、一番効果がある事が確認されています。増量すると、かえって効果はおちます。これをアスピリンジレンマといいます。
妊 娠中の低用量アスピリン療法に関して、副作用の報告は特にありません。世界で大規模な研究が行われましたが、胎児に対する催奇形性、胎盤早期剝離、胎児脳 室内出血などのリスクは増加しなかったと報告されています。また、分娩直前まで投与すると胎児動脈管に対して重篤な影響が出る可能性が指摘されていました が、これも否定されています。したがって、妊娠28週で終了するという投与法には、根拠がありません。
唯一、催奇形性に関する報告で、胎児腹壁破 裂という内蔵奇形が増加するかも知れないという論文があるのですが、この論文は、低用量アスピリン療法ではなく、妊娠初期に鎮痛解熱剤としてのアスピリン (低用量アスピリン療法の約8倍の量)を飲んだ場合の報告です。さらに、この論文には幾つかの問題が指摘されています。腹壁破裂という病気は、10万人中 3~6人に発症する非常に稀な疾患ですので、この論文程度の規模のデータでは、それを証明する事は不可能です。さらに、この研究では、腹壁破裂の確定診断 はわずか58%の新生児でしかついていません。何故ならば、貧困層での報告だからです。また、妊婦の麻薬摂取の因果関係も否定できず、さらに、妊娠初期に アスピリンを飲む原因となった疾患が腹壁破裂を引き起こした可能性も否定できません。以上の様に、この論文の信頼性はあまり無い上に、後日、アスピリンと 腹壁破裂の関係を否定する論文も出ています。何れにしても、この研究データは低用量アスピリン療法と比較して、飲んだアスピリンの量が全く異なりますの で、参考になりません。
皆さんが飲んでいる低用量アスピリン療法に関しては、1994年と2003年に出た論文で、安全性は確認されていますので、ご安心下さい。
こ の様に、既に低用量アスピリン療法は、血栓、流産予防薬として、世界で安全性も有用性も証明されて使われて来たのですが、日本では保険が効きませんでし た。何故ならば、あまりにも安価な薬なため、製薬会社が巨費を投じて保険収載のための国内治験を行わなかったからです。しかし、今から5年前に、特例とし て、国内治験免除で血栓症に関してのみ保険が効く様になりました。その時、おそらく製薬会社が責任を逃れるために、根拠も無く妊娠28週以降は禁忌という 添付文書が付きました。既に、当時我々は、国際的なエビデンスに基づき、妊娠35週まではアスピリンを投与していたので、当然その添付文書を無視し、現在 に至っています。最近、妊娠28週でアスピリンを終了する産科医が多いのは、この添付文書に真面目に従っているからです。残念ながら、不育症の治療として の低用量アスピリン療法は、未だに保険が効きませんので、自費診療となります。もし、保険でアスピリンを処方されている方がいたら、それは単純に医師の無 知によります。ばれない事を祈ります。
以上、低用量アスピリン療法の裏話でした。これほど詳細を知っている不育症専門医はいないと思いますが、今回は特別に皆さんに教えちゃいます。これで、皆さんは主治医よりも事情通である事は確実です。
「どうせ検査をしてもアスピリンかヘパリンでしょ」という意見に対して。
不育症の検査は、高額であると思われています。しかしながら、アメリカで不育症検査を受けると約30万円かかるので、日本は格安であり、レベルも高いので、高額であると言う指摘は当たらないと思いますが(車の車検よりも安いし)、折角検査を受けても、結局治療が同じなのでは、意味が無いと言う意見にも一理あります。しかしながら、きちんとした検査を受け、診断しないと、例え同じ治療方針であったとしても、大きな問題が起きるのです。当院には、前医できちんとした診断をしないで治療を受け、駆け込んで来る人が多いので、その問題点を解説します。
不育症の原因の中で多いのは、血液凝固系の異常であり、低用量アスピリンやヘパリン療法などの抗凝固療法になる事が多いです。そこで、前医で詳しい検査や診断をしないで抗凝固療法を行い、無事に分娩したとします。取り敢えず、1人子供を産めたので、その時は良いのですが、きちんと診断していないので、次の妊娠は油断して無治療で臨み、また流産して当院を受診する人がいます。当院で検査をしたところ、明らかな凝固異常が見つかり、たまたま第1子妊娠時の治療は正解だった訳ですが、それを知らなかったために、流産を増やしてしまった事になります。また、根拠も無くアスピリンを飲んで分娩した場合、自分は不育症かも知れない、アスピリンのおかげで産めたのかもしれない、産まれた子供が女児なので、この子が将来不育症になるのか心配などと言った心配が出て来て、もう妊娠、分娩希望は無いのに診断をはっきりさせるために来院する人もいます。
きちんと診断しないで抗凝固療法を行なった場合、はっきりした治療の根拠が無いので、妊娠初期を乗り切った時点で不育症外来を「卒業」となり、治療を終了したところ、その後で胎児死亡を起こして来院された方も多いです。
原因不明で何度もアスピリン、ヘパリン療法をやっても流産を繰り返し、当院受診された人の中には、検査を行ったところ、凝固異常とは無関係の染色体転座が見つかったり、糖尿病や甲状腺異常が見つかったり、子宮奇形が見つかったりした人も多いです。
きちんと検査、診断しないと、例え血液凝固異常であったとしても、アスピリン療法単独で良いのか、ヘパリン自己注射も必要なのか、治療は妊娠初期のみで良いのか、分娩直前まで必要か、分娩後も必要か、薬の量は低用量で良いのか、高用量なのか、自費でやるのか、保険がきくのか、何も分かりません。中には、重症抗リン脂質抗体症候群の人もいるかもしれません。それを診断しないで中途半端な治療をした場合、流産はしなくても、妊娠途中で重症妊娠高血圧、重症子宮内胎児発育遅延などが起こり、極小未熟児で生まれ、一生後遺症を抱えたり、妊婦本人に肺塞栓が起こり、命が危なかった人など、さまざまな人を診て来ました。
折角妊娠したのに流産して行ったこども達は、命をかけて親に警告を与えているのかもしれません。それを無視しないで頂きたいと切に思うのです。検査を受け、きちんと診断できれば、適切な治療により、その後の妊娠は継続出来るし、親の健康も維持できるのです。
「どうせ検査をしてもアスピリンかヘパリンでしょ」という意見に対して。着床障害バージョン。
当院の着床障害検査は高額と言う人もいますが、海外では30万円ぐらいしますし、現にERA検査も20万円弱しますので、海外と比較しても高額とは言えません。(私はプリウスに乗っていますが、先日、車検の料金が当院の料金と全く一緒で、愕然としました。たった90分で…。全く故障していなかったし、強制なのに…。)しかしながら、折角高額の検査を受けても、治療方針が変わらないのであれば、無駄であると言う意見も一理ありますし、私も不本意なので、ここに当院の考えを解説したいと思います。
我々不育症専門医は、30年前から不育症の原因解明のため研究を続け、抗リン脂質抗体を始め、様々な原因を見出してきました。その結果、アスピリン、ヘパリン療法の安全性、有用性が証明され、今ではヘパリンは保険適応ですし、アスピリンも妊娠28週以降の使用が産婦人科ガイドラインに認められ、標準治療となりました。不育症診療は着実に進歩しています。私は、1999年に日本で初めてヘパリン在宅自己注射を導入しましたが、当時は、患者に自宅でヘパリンという劇薬を自己注射させるなんて、危険で非人道的とまで言われた事もありますが、今では普及しすぎて、あまりにも安易な使用が問題になる程です。
一方、不妊領域も、30年前から飛躍的な進歩をとげました。当時は一部の大学病院でしか出来なかった体外受精が、今では不妊クリニックで普通に出来、胚盤胞移植も普通に出来、PGT-Aも導入されました。これも、あまりにも安易な治療が問題になる程です。しかしながら、不妊治療はずっと、いかに良好な卵を移植するかが最終目標で、その後の着床は子宮まかせでした。着床障害、不育症などは存在せず、全て卵が原因と言っていた不妊専門医も多かったです。しかし、卵の問題がかなりクリアーできた今となっては、着床障害が問題になり、幾つかのアプローチが始まっています。
不妊専門医が先ず考えた事は、不育症診療の真似をする事でした。良好胚を移植しても着床しないと言う事は、考え様によっては超早期の流産みたいなものだから、不育症の治療をすれば上手くいくのではないかという考えです。実は、私が1999年に初めてヘパリン自己注射を導入した時も、同じ事を考えました。当時、大学病院にいた私は、不妊外来で何度良好胚を移植しても着床しない患者に対し、移植の日からアスピリン、ヘパリンを開始してみたのですが、全く効果がありませんでした。プレドニンというステロイドもダメでした。実は、世界中で同じ事を考えた研究者が大勢いて、その後、どんどん論文が出て、着床障害の治療にアスピリン、ヘパリン、プレドニンなどの不育症の治療を応用しても効果はないと言う事が最近の国際学会のコンセンサスです。従って、着床障害の治療として、移植の前後からのアスピリン、ヘパリン療法は、不適切です。
結局、血流が大事な妊娠初期の流産とは異なり、胚盤胞が子宮内膜に接着する着床の瞬間は、まだ胎盤血管新生、血流が始まっていないので、血流を良くする不育症の治療は効かない様です。さらに、プレドニンの様な免疫抑制剤も否定されています。最近、一部の施設でプレドニンよりも強力なタクロリムスが試みられていますが、その有用性は、偽薬との比較で証明するべきです。アスピリンもヘパリンもプレドニンも、最初は着床障害に有効だと言われていたのですが、偽薬との比較研究で効果が否定されて来た経緯があります。偽薬でも着床率の改善が報告されており、着床は、それほどプラシーボ効果、即ちメンタルの影響が大きいと言えます。
当院の着床障害検査は、従来の検査とは全く概念が異なります。抗第XII因子抗体、抗プロテインS抗体、抗EGF抗体などを発見しました。EGFという成長因子は、第XII因子やプロテインSにも含まれ、生殖に重要な役割を果たしている事は既に分かっています。EGFとその関連タンパク質は、子宮内膜の螺旋動脈の血管新生を促し、良い内膜を育てると考えられます。我々は、それらを認識して血管新生を邪魔する自己抗体を発見した訳です。抗体があると、内膜の血管新生が阻害されるので、良い内膜ができず、着床がしづらくなると考えられます。そこで、治療の目的は、良い内膜を育てる事になります。従って、既にダメな内膜が出来上がった移植の前後から治療を開始しても意味はなく、内膜の増殖期に治療で介入する必要があります。その時、血管新生を促す作用を期待してアスピリンを使う事がありますが、不育症のアスピリン療法とは、目的も使用時期も異なります。また、もっと強力に治療するなら、プレドニンを使う事も考えられますが、これも、不育症の治療とは目的も使用時期も異なります。ちなみに、当院で着床障害患者にヘパリンを投与する場合は、胎嚢が見えてからで、流産予防の目的です。着床障害と不育症の合併の方も多いので。
確かに当院は、検査は何処よりも詳しく、特に血液凝固系検査は非常に正確なのが売りですが、治療は地味です。でも、正確な診断無しには、適切で納得の行く治療はあり得ません。エビデンスの乏しい検査をやり、エビデンスの乏しい目新しい治療を移植日前後から開始しても、卵の無駄です。当院の検査で異常無しの人は、大体、慢性子宮内膜炎が見つかり、それを治療すれば上手く行っていますし、当院の検査で異常があれば、従来の安全性も有用性も確立した安心できる薬を、投与時期のみ工夫して投与すれば、上手くいくはずです。何故ならば、当院研究所の発見した抗体は、病原性こそ今までにない新しい抗体ですが、抗リン脂質抗体などと同様の陽性頻度、抗体価ですので、従来の薬で十分効くはずです。もっとドラスティックな治療を求め、動物実験もしないで、いきなり患者さんに新薬を添付文書に無い目的で試すのは、倫理的に問題がありますし、今の治療でも十分手応えを感じていますので、その必要性は感じていません。
既にダメな内膜が出来上がっている移植前後から、ヘパリンやタクロリムスなどの強力な治療を開始するのではなく、「良い内膜を育てる事を目的に治療する」に視点を変えただけで、コロンブスの卵的な効果が期待できると思います。真実は、意外とシンプルなものです。もちろん、その為には、内膜形成に問題があるため着床しないと言う正確な診断が必須です。着床は、神秘的な出来事ですし、少しの乱れがあるだけで上手くいかなくなります。まさに、啐啄同時です。偽薬の投与でも、そのプラシーボ効果で上手く行く事がある程、一寸の手助けが必要です。一寸だけ医学で介入してあげれば、上手くいくはずです。必要以上に強力な治療は、身体的、精神的ストレスがあり、かえって逆効果の印象があります。「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
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